「猛者と愚者」タムラアスカ

「猛者と愚者」 詩・タムラアスカ

動かないたましいのヒの周りを希望が旋回している。
閃きに頼らない帯状の夕暮れがゴミを掃く。
共通点を探る機能を備えた憂いが砂時計を5秒おきにひっくり返している。
追いかけられるものがなくても風は吹く。
場面の垂れ下がった相槌が内側の光彩に張り付いた。

獣の流儀が雲を流す。
弾んでいるように見えた雲には足と羽根があった。
引く手あまたの様子で、でも暇そうだ。
行きたい場所がない、帰る場所はある、は、贅沢か。
居場所があるのは安らぎか、保険か。
三角形が哀れに雨雲を準備し始め、またゴミが溜まる。
夕暮れが灰色に染まり、私は体を屈めて息を潜めた。
ほとぼりが冷めるまで、怒りが収まるまで、黙る。
黙る。黙る。

強きと弱きが相殺されて、舌先が削られる。
口笛を吹いて、びしょびしょに濡れるくちびる。

買ったジグソーパズルを概念と一緒に連れ回す。
すぐに飽きて、放り投げて、空が光った。疑いから確信へのグラデーションに見蕩れる。
赤い舌が差し込んだような豪雨。
引きずり下ろされた崇拝は頑固だった。
営んでいる。時計は正常だ。
デジタルの心臓が歴史の始まりを告げる。
今だよ、今。
スイッチはどこにでもある。体のなかにも。飛び越えたつもりが、埋めたつもりが、壊したつもりが、押していたりするよ。
無関心の洞穴はとても広くてひんやりしているよ。
肌が息を吹き返すよ。

切り替わる小気味いい音が往復していくうちに、削り、鈍り、溶けろ。勇敢ならばのどかに生きろ。煉瓦を積んで、隙間に歌を挟み込んで、何百年先に送り付けろ。自分本位の冗談が、善意の差別が、一般常識の正義が、キレイな言葉で襲いかかってきても、それが普通になるかもしれねえし、油絵具みたいに塗り足されて世界遺産になるかもしれねえんだ。何百年後、今の世界人口はごっそり入れ替わっている。

強きと弱きの千年戦争。人間の数だけある文明。そこの恥ずかしさは掃いても拭いても取れない黴。
息を吸うと吐きたくなる。
吐く、吐き出す、吐け、吐き出せ。
荒くれ者も怠け者も息が詰まれば左胸を押さえるだろう。やがてびしょびしょに濡れるくちびる。
吐く、吐き出す、吐け、吐き出せ。
今だよ、今。今だよ、今。今だよ、今。今だよ、今。
感情を口にする。
粘ついた泥のような慎ましさの粒子が散布される右側の脈は活き活きとしていて、たましいはどっしりそこに構えて希望を蓄える。緑が繁る。
体中の水分を集めて、私が私を、食べ尽くす。今。

2019.6.9 楽詩が開催したイベント「楽詩6楽詩9(たのしむたのしく)」のプログラムのひとつとして、JR岐阜駅隣接施設「ハートフルスクエアG」交流サロンのステージにてリーディングされた作品です

「猛者と愚者」タムラアスカ

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