コトバのスイーツ『六月・枇杷のコンポート』川内 祐


「季佳美、枇杷の実採ってしまわないと。雨が降ったらダメになっちゃう」
 今年の梅雨入りは平年よりやや遅めの六月中旬ごろ。そんな言葉がテレビから聞こえてくると、リビングのソファーに転がってスマホをいじる孫娘の季佳美に向かって、その隣に座っていた祖母の萌子が、孫の手をそろりと伸ばしている。
「これ、若者。動け、若者」
 わきの下を孫の手でつつかれ、季佳美は悶絶した。
「くぁっ! ちょ、おばあちゃん、やめて! ああ!」
 うつ伏せの態勢から、両膝を曲げてぺたんとお尻を落として座ると、大げさに天を仰いで嘆いた。
「あーん、もう! 途中で送信しちゃったじゃない」
「なあに? またアピュリで遊んでばっかりで」
「おばあちゃん、『アピュリ』じゃなくて『アプリ』ね。で、遊んでたんじゃなくて、友達の相談にのってたの。それで、なに?」
 萌子は孫の手を本来の使い方に戻した。
「枇杷を採っておいでって言ったのよ。枇杷、枇杷」
 どうにも動かないわけにはいかないと、季佳美は重たい腰を上げて買い物かごを手に外に出た。季佳美が枇杷の樹に近づくと、それだけで甘い果実の香りが漂ってきた。ひとつもいで皮をむくと、口へと運んだ。
「んー、甘い」
 よく熟れてみずみずしいオレンジ色の実からは、口から溢れんばかりに甘い汁が染み出した。大きな種を口から手に落とす。つややかで、何とも言えないかわいらしい形をした丸っこいその種が季佳美は好きだった。その種を鼻に近づけると、太陽のエネルギーを蓄えた生命の匂いがした。
 買い物かごに次々に収穫していると、スマホにメッセージが入った。
「……結局忘れられないんじゃないの。やめときゃいいのに」
 メッセージの送り主はクラスメイトの伊沙子だ。喧嘩をしては泣かされてきた彼と先月別れ話をしたものの、いざ別れるといい想い出ばかり蘇ってきて寂しくて仕方がないらしい。浮いた話ひとつ無い季佳美にとっては羨ましい限りだ。季佳美はスマホをポケットにねじ込んで急いで収穫を終わらせた。
「ただいまぁ!」
「いい匂いね。お日さまの匂いがするわ」
 季佳美は同じ感想を言った萌子に嬉しくなった。
「でしょ? あ、そうそう。おばあちゃん聞いてよ」
 季佳美は枇杷が入った買い物かごを、準備よく古新聞を床に広げて待っていた萌子の横に置くと、伊沙子と彼氏の話を聞かせた。
「若いうちはさっさと忘れて新しい恋を見つけた方がいいのにねぇ」
 萌子の口からため息とともに出てきたその言葉に、季佳美も大きく頷いている。
「私もそう言ったのよ? でも、彼が謝ってきて悩んでるみたい」
「忘れられないのはその人の素晴らしさじゃなくて、自分の幸せだった心よ。……そうねぇ、その彼のつまらなさを分からせてあげたらいいわ」
 萌子はそう言って口角の片方だけを上げて笑った。

「これを? 彼に?」
 その日の午後、萌子に呼び出された伊沙子に、萌子は小さな箱を手渡した。
「返事は明日でいいって言うのよ」
 中にはアイスクリームと、ちょっとした謎解きが入っているらしい。伊沙子が受け取った箱は、ドライアイスが入っていてひんやりと心地いい。
「返事って、何が書いてあるんですか?」
 当然気になったことを伊沙子は尋ねた。
「『このアイスクリームはあなた。私は伊勢で泡と浮くわ』って書いてあるの」
 萌子の答えに、伊沙子と並んで季佳美も首を傾げた。アイスクリームは季佳美も一緒に作った枇杷のコンポートを乗せたアイスだ。
「もし返事が『もう泣かせない』とか『ナカヒラとは違う』とかだったら、まだ望みはあるかもしれないわね」

 

illustration by 3.14%

illustration by 3.14%

 

 翌日、その彼からの返事は、「ありがとう。美味しかったよ」だった。
 萌子の少ないヒントから答えを導き出していた伊沙子は、メッセージに込められた深部を見ようともせず、目先のアイスクリームにだけ心を向けたその男のことはすっぱり忘れることにしたらしい。

──よひの間にはやなぐさめよ
いその神ふりにし床もうちはらふべく(藤原仲平)
──わたつみとあれにし床を
今更にはらはば袖やあわとうきなむ(伊勢)
 萌子が二つの短歌を折り込み広告の裏に書いて季佳美に差し出した。
「うーん、さっぱりわかんない!」
 伊勢のほうは高校の授業で目にした記憶がなくもなかったが、季佳美は藤原仲平の名前すら聞いたこともなかった。
「このふたつが何なの?」
 萌子は「情けない」と嘆息し、この出来の悪い孫娘にどう説明するか考えた。
「あんたたちにわかる話に変えたら、元カレから『会いたい』ってメールがきて、『もうあんたなんかこりごり』って返事したってところかね。千年以上前も未練がましいのは男のほうってことだ」
「ふーん……。で、『私は伊勢で』は場所じゃなくて歌人のことを指してるってのはわかるけど、『このアイスクリーム』がなんで?」
「枇杷左大臣。あなたが大好きなスマホで調べてみなさい」
 スーパーで買ってきたシュークリームとナイフを手にした萌子に嫌味っぽく言われて、季佳美が枇杷左大臣を検索すると、すぐに藤原仲平の名前が出てきた。萌子が書いたふたつの短歌についても、さっき萌子が言ったような解説が書かれてある。
「へえ。……あ、伊沙子もこれで見つけたのね」
 季佳美が「枇杷 伊勢 泡」と検索すると、ふたりの間のことを書いたページが幾つかヒットした。それに感心すると同時に、ふたつの歌をさらりと書いた萌子のことも改めて尊敬した。それにひきかえ、伊沙子の元カレは本当につまらない男だと思えた。彼はあのメッセージの意味を知る日が来るのだろうか。
 季佳美がテーブルに置かれたシュークリームを口に運んだ。
「おいしっ」
 市販のシュークリームの生地を切って、顔を出したクリームの上に枇杷のコンポートをのせる萌子のひと手間で、季佳美にはそれが自分だけの特別なスイーツに思えた。

 

コメントはこちらにどうぞ